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山崎蒸溜所@梅雨の晴れ間。

日本スコットランド協会の秋の講演会「輿水精一チーフブレンダーのウイスキーセミナー」以来、半年振りの山崎蒸溜所探訪だ。

阪急・大山崎駅またはJR・山崎駅で下車して、西国街道を西に歩くと、JRの踏切りに出る。



84年前の大正13(1924)年7月20日。
単式蒸溜器2器が川蒸気に乗せられ、淀川を遡った。陸揚げののちは転子(ころ。回転棒)を使って馬に引かせた。
真夜中の(21日)零時半、上り最終列車が通り過ぎるのを見計らい、東海道線の線路を越えてようやく工場内に運ばれた。(「ヒゲのウヰスキー誕生す」より)

このとき、竹鶴政孝(以下、敬称略)は蒸溜器の搬入を指揮し、多分、鳥井信治郎(時間があると建設中の山崎蒸溜所に出かけた、と言われる)も立ち合ったはずだ。

<工場を縦貫する道路は公道である。(昨年秋の写真)>



<踏切り上空辺りから撮られたと思われる航空写真>
写真左上の洋風の建物は、竹鶴政孝・リタ夫妻が住んでいた工場長社宅かも知れない。



<工場見取り図>
大麦の保管庫、製麦棟から始まって、瓶詰棟まで、一貫生産していたのが分かる。



<見取り図と同じアングルから撮られた写真(昭和25年撮影)>



屋外の「ワームタブ型」冷却器(見づらいですが・・・)。



蒸溜所設立時の蒸溜器。手入れがされていなくて蒸溜器が可哀そう。



「本邦ウイスキー発祥之地」の碑が立つ。




山崎には、設立時の建物が一棟も残っていないのが本当に残念だが、この地に立つと、鳥井信治郎吉太郎親子、竹鶴政孝、リタ夫妻らが行き交っていた姿が目に浮かぶようで、正に余市と共に「日本のウイスキーの聖地」である。

#サントリー

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