あけまして
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今年最初のお話は、“ゴードン”にこだわった“ミスター・マティーニ”と呼ばれた今井清氏。
「日本マティーニ伝説」
今井清さんの物語ですが、当時の歴史的な背景、現在のバーの雛形をつくった人たちの話題が盛りだくさんで、カクテル好きにはたまらないかも。
<以下HPより>
生前の今井は、「ミスター・マティーニ」と呼ばれた名手であった。
マティーニは、カクテルの王様とされ、何千種類あるかしれないカクテルの頂点に君臨しつづけている。戦前戦後を通じて、バーの客が注文することがいちばん多いカクテルでもある。
しかも「マティーニ」と口に出して言うときの、客の意気込みは、他のカクテルの場合とまるでちがう。だから、いつも以上に真剣につくらなくてはならないと、バーテンダーたちは言う。マティーニはカクテルのなかのカクテルであると、バーテンダー自身も客も信じている。
今井のマティーニが評判になりだした昭和20年代から30年代にかけて、そのカウンターに座る客のほとんどが常連で占められていた。それでもときにはフリーで入ってくる客もいる。今井は、たまに来る人のことをじつによくおぼえていた。顔ではなくて、その客の舌を記憶しているのである。
注文したマティーニを前に、「このバーはまだ二、三回しか来ていないのに、どうして私の好みがわかるのか」と感嘆する商社マンなどに、つくり手の今井は、ただ笑うだけでなにも答えなかった。この客の舌は、すでに今井に盗まれていたのである。
「三度来店されたら、その人の好みの味をマスターできる」と今井は言っていた。これがプロだと、後輩のバーテンダーたちは思った。
19世紀のアメリカに生まれて以来、いくつもの神話や伝説に包まれてきたマティーニを完成させ、今日の姿にまとめあげたのが今井清である。
「ミスター・マティーニ」の称号は、バーテンダーのなかのバーテンダーをも意味している。
今井は、平成11年にこの世を去った。
かつて今井の下でバーテンダー修業をはじめた久保木康雄氏(現在パレスホテル料飲部支配人)は、「すべて結局、お酒の世界というのはやっぱりオーバーな言い方かもしれないが、今井さん中心にあったということだ。嘘偽りのないところで、今井さんによって酒の文化はつくられたのだと言える」と、その生涯を総括している。
「今井清氏を偲ぶ会」の冒頭、司会者に促されて進み出た白髪のバーテンダーが、出席者たちを前に、氷を入れたシェーカーを振った。人々は頭を垂れ眼を閉じて、黙祷した。静まり返った会場に、シェーカーのシャカシャカシャカという、軽快な音だけが響きわたった。
右肩を心もち上げて、両手にシェーカーを包み込み、肘を大きく突き出した両の腕をリズミカルに動かして、縦に横に滑らかに振る動作は、今井のそれに学び、さらに複雑にしたものであった。
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